京都地方裁判所 平成2年(む)169号 決定 1990年11月16日
主文
京都地方検察庁検察官が、平成二年一〇月二〇日になした申立人によるAに対する覚せい剤取締法違反被告事件(京都地方裁判所平成二年(わ)第一三七号、同第三七一号)の訴訟記録の閲覧を許可しないとの処分はこれを取消す。
京都地方検察庁検察官は、Aに対する覚せい剤取締法違反被告事件(京都地方裁判所平成二年(わ)第一三七号、同第三七一号)の訴訟記録を、京都地方検察庁において、執務時間内に限つて、申立人に対して閲覧させなければならない。
理由
一 本件申立ての趣旨及び理由の要旨は、弁護士たる申立人において、平成二年一〇月二〇日、京都地方検察庁で、その受任する刑事事件の関連事件であるA(以下「A」という。)に対する覚せい剤取締法違反被告事件(京都地方裁判所平成二年(わ)第一三七号、同三七一号。以下「第一事件」という。)の刑事確定訴訟記録(以下「本件訴訟記録」という。)の閲覧請求(以下「本件閲覧請求」という。)をなしたところ、その保管検察官たる京都地方検察庁検察官は、右両日、検察庁の事務に支障があるとの理由で本件閲覧請求を不許可とする処分(以下「本件処分」という。)をなしたものであるが、本件閲覧請求においては検察庁の事務支障はなく本件処分は不当であるから主文同旨の裁判を求めるため本件申立てに及んだというものである。
二 そこで検討するに、一件記録及び本件訴訟記録等を総合すれば次の各事実が認められる。
1 Aに対する各覚せい剤取締法違反被告事件の公訴が平成二年二月二三日(自己使用、京都地方裁判所平成二年(わ)第一三七号)及び同年五月一日(非営利目的有償譲渡、同第三七一号)に京都地方裁判所にそれぞれ提起され、後に併合して審理され、右に対する有罪判決が同年八月二二日に宣告されて同年九月六日に確定した(以下「第一事件」という。)。右京都地方裁判所平成二年(わ)第三七一号被告事件の公訴事実の概要は、AがB子(以下「B子」という。)に対して覚せい剤を有償譲渡したというものである。
2 そして同年六月五日、C(以下「C」という。)に対する覚せい剤取締法違反被告事件の公訴が京都地方裁判所に提起されて公判が係属中であり(以下「第二事件」という。)、申立人外二名がCの弁護人である。第二事件の公訴事実の概要は、CがAに対して覚せい剤を有償譲渡(非営利目的)したというものであるところ、Cは捜査段階以来犯行を否認してアリバイの存在を主張しており、一方Cから覚せい剤を譲り受けたとされるAの供述の概要は、第一事件、第二事件の各公訴事実のとおりであり、第一事件においてB子に譲り渡した覚せい剤は第二事件のCからの譲受けにかかる覚せい剤であるというものである。検察官は第一回公判期日までにA及びB子の検察官に対する各供述調書を含む請求予定の証拠を弁護人に対して開示し、第一回公判(同年七月三日)において、弁護人及びCは公訴事実を否認して無罪を主張すると共に未開示のAら事件関係者の供述調書等の開示を求め、第二回公判(同月三一日)において、裁判所はAの証人採用決定をなすとともに、右証拠開示については職権発動及び開示勧告をしないことを明らかにし、第三回公判(同年九月四日)にはAの証人尋問が行われ(続行)、第四回公判(同月二五日)には同人及び警察官一名(実況見分調書の成立の真正立証)の証人尋問が行われていずれも終了し、裁判所はB子の証人採用決定をなし、第五回公判(同年一〇月九日)にはB子の証人尋問が行われ主尋問が終了して反対尋問途中で続行となり、同月二〇日の本件閲覧請求後の第六回公判(同月二三日)にはB子及び技術吏員(捜査機関作成の鑑定書の成立の真正立証)の証人尋問が行われていずれも終了し、裁判所はE(立証趣旨・被告人とAとの接触状況、犯行前に被告人からAに電話があつたこと等)及び同D子(立証趣旨・被告人の覚せい剤の使用状況、取扱状況)の各証人採用決定をなし、第七回公判(同年一一月二〇日)には、同人らの証人尋問が予定されている。検察官は証拠請求予定のない証拠書類等の証拠開示には依然応じていない。
3 申立人は、第二事件の弁護資料とするため、同年一〇月二〇日、本件確定記録の保管検察官たる京都地方検察庁検察官に対して本件訴訟記録全部の閲覧請求をなしたところ、京都地方検察庁検察官は、右同日、検察庁の事務に支障があるとの理由で本件処分をなした。
三 そこで以上を前提として本件不許可処分の当否について検討するに、まず、刑事確定訴訟記録法は、刑事訴訟法五三条を受け、刑事被告事件に係る訴訟の記録の訴訟終結後における保管、保存及び閲覧に関する必要事項を定めたものであるところ、刑事確定訴訟記録法四条一項ただし書、刑事訴訟法五三条一項ただし書は、確定記録の保存又は裁判所若しくは検察庁の事務に支障のあるときは閲覧することができない旨規定しており、ここに検察庁の事務に支障のあるときとは、検察事務及び検察行政事務に支障があるときであり、右にはその捜査・公判等に不当な影響を及ぼすおそれがあるときをも含むと解するのが相当である。
そこで本件訴訟記録の閲覧の捜査・公判等への不当な影響を及ぼすおそれの有無について検討するに、なるほど本件訴訟記録のもととなつた第一事件は、Aが第二事件により譲り受けた覚せい剤を更にB子へと譲渡したというものであつて、双方の被告事件が密接な関係を有することは否定できないところであり、またCは捜査段階以来一貫して公訴事実(被疑事実)を全面的に否認して争い、また本件閲覧請求時検察官立証は終了していなかつたこと等の事実を認めることができるものの、第二事件の訴訟経過等は前述したとおりであつて、第一回公判までに、申立人たる弁護人に対してA及びB子の検察官に対する供述調書等が開示されており、申立人はA及びB子らの住所氏名等の人定事項及び同人らの第二事件に関する供述内容等を相当程度把握していたと認められ、加えて本件閲覧請求時(本件処分時)には、A及びB子に対する各証人尋問はAにあつてはその全てが、B子にあつては主尋問が終了し、しかもその間なんらかの罪証隠滅工作がなされた形跡はなく、更に第一回公判期日において供述調書が不同意となつた結果、証人尋問請求の可能性が存在した前記E及びD子の供述調書等は本件訴訟記録中には存在しないこと等によれば、同人らの証人尋問等による検察官立証は依然終了していないものの、申立人に対して本件訴訟記録を閲覧させたからといつて右閲覧に伴つて申立人ら弁護人側の反証等のためにAらの再尋問の請求がありうるとしても、右は弁護人の防御権の行使として相当なものと解されても不当なものとはいえず、その他検察官立証が不当な影響をうける可能性を記録上窺うことができないこと、また検察官においても不当な影響の発生を窺わせる具体的事情を明らかにすることがないこと等を総合考慮すれば、本件訴訟記録の閲覧が捜査・公判等に対してなんらかの影響を与える可能性が存在すること自体は格別、その影響が不当なものであると認めることはできないのであつて、結局本件訴訟記録の閲覧による捜査・公判等への不当な影響を及ぼすおそれは認められないというべきである。
そして、刑事確定訴訟記録法四条二項各号所定の記録閲覧の制限事由の有無については、他に閲覧不許可事由が存在しないことは検察官においてもその提出にかかる意見書中においてこれを認めるところであるが、なお検討するに、同条二項一号ないし三号所定事由の存在はいずれも認められず、また同条二項四号、五号所定事由の存否についても、本件申立人は弁護士であり、その閲覧目的も関連事件の弁護活動の参考にするというものであること、申立人はA及びB子の検察官に対する供述調書等の開示を受けていること、同事件における同人らの公判供述等によりその刑事処分の結果等を知つていると認められること、本件訴訟記録中にはAの身上関係の書証が含まれてはいるものの、Aにはさしたる前科・前歴はなかつたことなど当該書証の申立人による閲覧がAに対して格別不利益を与えるとは認められないこと等の諸事情を総合考慮すれば、本件閲覧により犯人たる被告人の改善及び更生を著しく妨げることとなるおそれ(第四号)や事件関係人の名誉又は生活の平穏を著しく害することとなるおそれ(第五号)が生じるとは認められず、同条二項ただし書の事由について検討するまでもなく同条二項本文所定の閲覧制限事由に該当しないというべきである。
以上のとおりであつて、本件閲覧請求に対して保管検察官は本件訴訟記録を閲覧させるべきであつたというべく、本件処分がその合理的裁量の範囲を逸脱したことは明らかである。
なお検察官は、当事者主義的訴訟構造や訴訟における裁判所の訴訟指揮の優越性などを強調するものの、その主張は結局のところ裁判所の証拠開示命令の不発動の一事をもつて刑事訴訟法五三条一項ただし書にあたると主張するものにほかならないところ、もとより訴訟について合目的的な進行を図るべき権限と職責を有するのは公判裁判所であるが、裁判所の訴訟指揮による証拠開示命令は、証拠開示について明文かつ直接的な規定の存在しない一般的な場合において、当事者主義的訴訟構造及び当該証拠開示に伴う弊害と被告人の防御とを調和させるため、一定の要件の下訴訟の審理に一定の秩序を与える裁判所の合目的的活動たる訴訟指揮権に基づきこれを行うものであつて、当事者主義的訴訟構造はとりもなおさず証拠として請求の予定のない証拠関係の開示は検察官の自由な処分権能下にあるとの原則を導くものであり、裁判所の証拠開示命令は右原則を肯認しつつも結果的には一定の限度で右を修正するものにほかならない。他方、刑事訴訟法五三条及び刑事確定訴訟記録法は裁判の公開の観点からの独立の規定であり、その規定の体裁からみて刑事確定訴訟記録の公開を原則とし、その閲覧について検察官に自由な処分権能が存在することを前提としているとは解されないのであつて(その意味で刑事確定訴訟記録が検察官の手中にのみあるべき証拠書類とは当然にはいえない。)、なんの留保もなしに一方に関する法的処理を他方のそれに妥当させることが相当でないことは明らかである。そして、保管検察官はその保管にかかる刑事確定訴訟記録を、現に係属しあるいは将来係属するであろう他の刑事被告事件(本件では第二事件)の訴訟関係人としてこれを保持・管理しているとも当然にはいえず、更に訴訟につき最終的な職責と権限を有する公判裁判所の訴訟指揮の結果は尊重されなければならないとの立論自体は相当であつても、証拠開示命令の職権発動の構造等に徴すれば、証拠開示に関する職権不発動は、一般には当事者主義的訴訟構造等に配慮し開示の必要性等をも勘案した結果として職権を発動しなかつたというに止まるものであつて、右不発動は当然には証拠の開示全般を積極的に阻止する意味をも内包するものではないと解するのが相当であり、通常の職権不発動から一般的かつ抽象的に刑事確定訴訟記録の閲覧がなしえないとする結論を導くのは早計であるというべきである(もつとも、対象証拠の開示が訴訟に不当な影響を与えること等をその理由として訴訟指揮権の不発動がされている場合等において、同一の訴訟状況下にあつて右訴訟指揮と異なる判断をなすことは公判裁判所の権限と抵触するもので相当ではなく、かかる場合公判に不当な影響を及ぼすおそれがあるとする立論を妥当とする余地はなお存在するが、本件がかかる場合に当たるとは認められない。)。そしてなにより刑事訴訟法五三条一項ただし書の規定が、公判裁判所の判断が不服申立の審理にあたる裁判所の判断を排除しあるいは拘束するとする結論を予定しているとは認められないというべきである。
以上検討したとおり、刑事確定訴訟記録の閲覧請求についての刑事確定訴訟記録法四条一項ただし書、刑事訴訟法五三条一項ただし書該当事由の存否の判断については、その閲覧がもたらす裁判所若しくは検察庁の事務支障の有無、殊に捜査・公判に不当な影響を及ぼすおそれがあるか否かを、法規定本来の意義、目的等を併せ考慮しつつこれを判断するのが相当であるというべきであつて、右に反する検察官の主張は採用の限りではない。
四 以上のとおり、本件申立ては理由があると認められるので、刑事確定訴訟記録法八条二項、刑事訴訟法四三〇条一項、四三二条、四二六条二項により主文のとおり決定する。
平成二年一一月一六日
京都地方裁判所
(裁判官 向野 剛)